諏訪の年表

諏訪の年表

時 代  年 号  西 暦 移 り 変 わ り 
 縄 文   前4000-
3000 
 諏訪台に人が住む(昭和39年遺跡発見)
 奈 良    7-900  諏訪の登窯で布目瓦がイ乍られる
 鎌 倉 建長2年  1250   万年太夫藤原高利が信州諏訪神社(現諏訪大社)の分神をこの地に勧請する
 室町 永禄5年  1562   相馬島胤が侵入する(孫沢原の合戦)
 江戸  慶長7年 1602 佐竹義宣が秋田に移封される
延宝2年 1674 多賀野万年太夫高弘が諏訪神社神官を光昭公より命ぜられる
元禄3年 1690 万年太夫胎内像保護のため光昭公の命により万年太夫夫婦の座像がつくられる
天保4年 1833 水戸藩主斉昭公が諏訪に梅を植える(現諏訪梅林)
嘉永6年 1853 藤田東湖が諏訪神社の太織を揮毫した
 明治 5年 1872  学制公布、諏訪の戸数100戸人□503人
10年 1877 諏訪小・成沢小が、油郷子小学校に合併される
22年 1889 諏訪・油郷子・成沢が合併し鮎川村となる
31年 1898 常磐線「水戸~岩沼間」開通、下孫駅開設される
35年  1902  長塚節が諏訪梅林を訪れる
大正   6年  1917  久原鉱業が北の沢鉱山を買収し諏訪鉱山と称する
13年 1924 諏訪に初めて電灯がつく
 昭和  11年

14年
16年
17年
20年

22年
30年
36年
27年
38年
39年

40年
44年

46年

49年

50年
54年

62年
63年

1936

1939
1941
1942
1945

1947
1955
1961
1962
1963
1964

1965
1969

1971

1974

1975
1979

1987
1988

大平田で常陸堀江工業が石灰石を採掘する。
(現日立セメント㈱太平田鉱山)
鮎川村・国分村一河原子町合併し多賀町となる
第2次世界大戦はじまる
上諏訪小学校開校(児童数8Z人、職員4人)
米軍の艦砲射撃死傷者多数、第2次世界大戦終る
農地改革はじまる
キヤスリン台風で鮎川が氾濫し被害甚大
合併により新しい日立市ができる
県道日立~里野営(現日立~常陸太田)線拡幅工事はじまる
上諏訪小学校閉校となる
西田団地分譲はじまる
平和台団地分譲はじまる
東京オリンピック開かれる
上諏訪団地分譲はじまる
諏訪台より縄文式土器発掘される
諏訪鉱山が閉山する
諏訪小学校が成沢小学校より分離独立する
諏訪地区住居表示変更される
「諏訪市民運動実践協議会」結成される
小咲台団地、堂平団地分譲はじまる
木造万年太夫夫婦座像県指定文化財となる
茨城国体開催される
諏訪台(諏訪小)の遺跡を発掘する
諏訪地区の公共下水道工事が完成する
第二小咲台団地分譲はじまる
諏訪コミユニティセンター完成する
NHK巡回ラジオ体操諏訪小で開催される
(諏訪小創立20同年記念) 
 平成 4年  1992 諏訪市民運動連絡会が「諏訪学区明るい市民の会」と改称される
10年 1998 学区変更により堂平自治会と子ども会が成沢学区に変更された
14年 2002 明るい市民の会30周年、諏訪コミュニティセンター15周年記念式典開催
15年 2003 ライフタウン石内団地入居始まる
17年 2005 諏訪神社社務所建て替え完成
18年 2006 諏訪学区コミュニティ推進会、諏訪交流センターに変更
諏訪交流センターに小ホール増築
22年 2010 諏訪交流センター隣接道路工事のため、敷地整備、ヒマラヤスギ伐採
30年 2018 諏訪第二宮拝殿修復及び中鳥居改築工事完成
諏訪小学校新校舎完成、創立50周年記念式典開催