諏訪のあらまし・諏訪八景
諏訪のあらまし・諏訪八景
私たちのふるさと諏訪は日立市の中央部に位置し、多賀の山並みを背に、鮎川に沿って南東に開けた水と緑に恵まれた気候温暖な地です。
このように諏訪は住みよい土地でしたので遠く数千年前の縄文時代から人々の生活がありました。のちに農耕を行うようになってから、近年に至るまで鮎川の水を用水にした稲作と台地の畑作を中心とした静かな農村集落でした。しかし昭和30年代からの日本の高度経済成長と共に道路の整備、上水道の普及もあって、大きな団地がいくつもでき、人口も急増して平成5年ではおよそ3、000戸、8、300人が生活しています。
諏訪には諏訪神社を創建した万年太夫藤原高利や諏訪に来訪した水戸藩主光圀公(義公)、斉昭公(烈公)をはじめ、藤田東湖、青山延寿、長塚節等にかかわる伝説、文化財が数多く残されています。
なお諏訪という地名は建長2年信州(長野県)諏訪神社の分神を勧請してこの地に諏訪神社が建立された時に始まるといわれています。
鮎 川
鮎川は高鈴山を源とした河口まで約8km流域面積約16.8平方キロメートルの二級河川です。鮎川の恩恵は稲作をはじめ、生活用水として油縄子、成沢、戸沢方面までにも及んでいました。
鮎川はもと諏訪川と呼ばれていましたが、光圀公がこの地に多摩川の鮎を取り寄せて放流したのが、その名の起こりといわれています。
この川も第2次世界大戦後生活雑排水等で汚染されましたが、公共下水道の普及と「鮎川をきれいにする会」や地元の人たちの活動で浄化が進み、鮎・うなぎ・えびだけでなく鮭の遡上も年々多く見られるようになってきました。諏訪梅林の川辺には、春から秋にかけて、多くの家族連れの楽しむ姿が見られます。
諏訪八景
江戸時代から諏訪八景といわれる名所がありました。
- 泉水
諏訪神社の麓の多賀野家庭園から清らかな水が湧き出ています。 - 梅林
(諏訪梅林の項参照) - 曙山
円錐形に聳える山で日立市中央斎場西側にあり、この頂上から会瀬の白波をも望めたといわれます。 - 四ツ峰
浜の漁師は、この峰をたよりに櫓を操り雲がかかれば必ず天気が悪くなるといわれました。 - 達磨湯
常磐自動車道鮎川橋先にあった湯治場(達磨石の下側)で今は跡形もありません。近辺の眺めは新緑も紅葉も美しい渓谷となっています。 - 水穴(諏訪の水穴の項参照)
- 普厳岩
屏風ヶ嶽の対岸にありましたが、今は石灰石採掘のために形がなくなっています。 - 屏風ヶ嶽
採石で削られて縮小されましたが、垂直に屏風のように立っている珍しい岩山です。