諏訪梅林(日立市諏訪町)

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諏訪梅林

沿岸

日立市多賀地区の西側の丘陵のすぐ近くに諏訪梅林(市立公園)があります。地形的にはすでに山裾に囲まれた渓流沿いになります。公園の西側を流れる清流は「鮎川」です。ここに梅の木が約300本植えられており春には市民の目を楽しませています。県道、日立ー常陸太田線が公園の中央を横断しています。

由来

江戸時代末期、当地にあった水戸藩所有の「梅の木御林」がはじまりとされます。明治時代以降は国有となり、梅の名勝地「諏訪梅林」として保存されてきましたが、明治40年に旧鮎川村が払い下げを受け、今日に至っています。
 天保3年(1832)、水戸藩第九代藩主徳川斉昭(烈公)が、この地に梅の木を数百本株植栽し「梅の木御林」を造営したおりに、烈公自ら手植えを行ったと伝えられている梅の木が残されているが、現在のものは二代目に当たります。
 徳川斉昭が梅を愛し、多くの梅を植えさせた由来を種梅記録(弘道館公園内)に刻んでいます。 梅は春の先駆けとして清らかな花を咲かせ、実は梅干しとして軍用や飢饉の時の非常食となることから、実用を重んじた斉昭は梅を愛し、領内に広く植樹する事を奨めったと記されています。城下の水戸市には偕楽園(約3,000本)や弘道館に多くの梅の木が植えられています。

歌碑、句碑

この公園には歌碑と句碑が一つずつあります。
長塚節の歌碑:
 長塚節(1879-1915)は茨城県の西部、現在の常総市に生まれた文芸家で短歌に優れ、また、農民文学の初めを築いた人として有名です。彼が明治35年(1902)3月に諏訪梅林を訪れて短歌を一首残しました。
         
雪降りて寒くはあれど梅の花 散らまく惜しみ 出でて来にけり    長塚節
 小松崎爽青(そうせい)(1915-2003)は日立市在住の俳人として良く知られたいます。彼の俳句の碑も北側の斜面にあります。
         
目白来て 日のあるかぎり 梅匂ふ   小松崎爽青

利用状況

町の中心から比較的近いので多くの市民に愛用されています。梅だけではなく秋の彼岸花の1種「キツネのカミソリ」の群生も見ることができます。
駐車場は約35台収容。 公衆トイレあり。
問い合わせ  日立市役所都市整備課  Tel.0294(22)3111

(本稿は「ひょうたんグループ」の同意を得て転載したものです)